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時流

災害と病いの語りに見る喪失と再生

   北星学園大学文学部 心理・応用コミュニケーション学科教授 大島寿美子  

 
 2011年以来、3月になると、新聞各紙は東日本大震災に関する特集を組む。読者にとっては地域の復興と人々の生活再建のようすを知る貴重な機会だ。毎年必ず掲載されるのは、被災者の方々の体験の語り。そこには失われたものを抱きながら歩みを進め、 日常を取り戻していく人々の姿が記録されている。

 今年の語りからは、13年という月日の重みが伝わってきた。ふと気づかされたのは、今年は別の重みもそこにあること。それは元日に起きた震災の重み。4月初め、発生から3か月となる能登半島地震の被災地には、いまだ避難所で暮らす多くの人々がいる。語られるのは、家族団らんの正月を襲った大きな揺れのこと、家の倒壊で亡くなった家族のこと、先の見えない仕事や生活のこと。被災地はいまだ喪失と不安の中にある。

 2つの震災はもちろん、震源も違えば、被害の地域的広がりや特徴も異なる。しかし、家族や住む場所を失った人々の語りは互いに響き合い、読む者に訴えかけてくる。大きな役割を果たしているのは「時間」だ。2つの被災地の語りから、読み手は東北の被災者の13年前を想像し、北陸の被災者のこれからを思う。そして、これまで日本各地で起きた災害とその被災者に思いをはせ、いつかまた来る災害の被災者となる自分を想像する。

 災害と病気はまったく異なる「災い」だが、その語りには共通するものがある。それは「喪失」と「再生」である。大事なものを失うという経験、直面する困難、たどり着いた現在。その過程には苦悩や葛藤があり、悲しみや絶望、困惑や怒り、安堵や感謝といったさまざまな感情体験がある。どちらの語りも、体験が時間とともに展開される中で、喪失と再生という主題を浮かび上がらせる。

 喪失と再生の語りは時空を超えて響き合いながら異なるものを結びつける。異なる体験、異なる人々、異なる場所、異なる時間であっても、人生を紡ぎ直した人々の軌跡は重なり合って、聴く者の胸を打つのである。

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