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時流

ケアを受ける人の「声を聞く」こと

北星学園大学文学部 心理・応用コミュニケーション学科教授 大島寿美子 

 89歳のYさんは、持病と体力の低下で日常生活に介助が必要になり、訪問看護と訪問介護を受けている。日中1人で過ごすYさんを心配した家族がデイサービスの利用を勧めた。見学時にはとても気に入り、利用初日にいそいそと出かけたYさんだったが、その日の夕方帰宅すると家族に「もう行きたくない」と一言。
 家族が理由を聞いても最初は要領を得なかったが、ぽつりぽつりと話をする中でわかってきたのは職員への遠慮だった。「みんな忙しそう」「お願いしてもちょっと待っててと言われなかなか来てくれない」「お風呂で重症の人にかかりきりになって洗ってもらえない」といった言葉から、ケアが受けられないことに不満を感じていたこともわかった。家族は「遠慮しないでどんどん頼んだらいいよ」「何度もお願いしてみたら」と提案したが、Yさんは「もういい」の一点張り。結局デイサービスの利用は止め、訪問介護を増やして在宅生活を続けることになった。
 デイサービスを拒否する高齢者は少なくない。慣れない環境への不安、利用者間の人間関係、他者に世話になることへの抵抗などが原因だという。もちろん最初から楽しみに通う人もいるし、最初は嫌がっても慣れてくると喜んで通うようになった人の話も聞く。Yさんももしかしたら何度か行くうちに雰囲気に慣れ、人間関係もでき、気に入って通うようになったかもしれない。そうならなかった理由は不明だが、ここではこの事例をもとにケアを受ける側とケアをする側の関係性について考えてみたい。
 ケアを受ける側からなにか頼まれたときにすぐに対応できないことは、ケアをする側にとっては珍しくないことだろう。医療や福祉の現場はとても忙しいし、作業中に呼び止められても中断するのが難しいこともあるからだ。また、ケアを受ける人の状況に合わせて優先順位を決めるため、複数の利用者の入浴介助で介護度の高さに応じて人手や時間のかけ方を変えることは、ケアをする側にしてみれば必要なことである。
 しかし、ケアを受ける側にしてみたら違った景色が見えることがある。Yさんの場合、もしかしたら何度も逡巡したあげくにやっとの思いで遠慮がちに声をかけたかもしれない。にもかかわらず「待ってて」と言われたとしたら、とても落胆しただろう。そして職員が来るまでの時間がとてつもなく長く感じられたかもしれない。お風呂では自分も身体を洗うのが大変でつらい気持ちになっていたかもしれない。そういうときに、なかなか手助けに来てくれなかったら、見捨てられた気持ちにもなるだろう。
 『あなたが患者を傷つけるとき:ヘルスケアにおける権力、抑圧、暴力』(ナンシー・L・ディーケルマン編、堀内成子監修、エルゼビア・ジャパン)は、ケアをする側が日常的に何気なくしている行動がケアを受ける側を傷つけている現実を、患者の語りをもとに浮き彫りにする。
 例えば、シャワー室でシャンプーを忘れたことに気づいたある入院患者は、ナースコールで看護師から「水か石けんで洗えばいい」と言われ、絶望的な気持ちになったという。別の患者は特定の看護師からケアを受ける度に痛みを感じていたが、患者がたくさんいて急いでいるから仕方がないとあきらめていたという。
 本書ではこれらの事例は「ヘルスケアの日常性に潜む暴力」として分析される。ここでの「暴力」は、殴る、蹴るなどの身体的な力の行使ではなく、ケアを受ける側の精神や存在を傷つけるような行為を指す。著者の意図はケアをする側を批判することではなく、ケアが疎かにされるシステムの問題を提起することにある。ケアをする側もケアを受ける側もそのシステムの被害者だと著者は主張する。
 Yさんのデイサービスでの体験も、システムの問題といえるかもしれない。ケアの担い手は足りず、ケアは重要だとされながらケア行為もケアをする人々も十分に評価されていない。
 同時に本書の著者は、ケアをする側が自らの有責性を自覚するよう訴える。ケアをする者は、自らの行為が生み出す可能性のある暴力に気づき、受け手の声に耳を澄まさなければならないと。
 ケアを受ける人の声を聞くことは、存在を肯定し、尊厳を守る行為である。Yさんも、何かを手伝ってもらう以前に、ひとりの人間として声を聞いてもらいたかったのではないだろうか。

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