時流
習ったことと違う
小樽商科大学 商学部企業法学科教授 片桐由喜
私は担当する社会保障法の授業において社会保障制度の意義、目的は「健康で文化的な最低限度の生活」を日本に暮らす者たちに保障することであり(憲法25条)、同制度の中心は社会保険であると話す。この社会保険は将来への備えであり、私たちが貧困に陥ることを防ぐ、すなわち、防貧機能を有すると伝える。
そして、国保、健保など公的医療保険のおかげで資力がなくても治療を受けることができること、医療費支出のせいで貧困になることはないことなどを授業では強調する。これらのことは親のスネをかじっている学生たちであっても、経験的に理解している-例えば、病院窓口での3割負担など-。
ところが、である。とある調査によれば、2023年に経済的理由で受診を控え、死亡した人は道内の4人を含む48人いるという(道新2025年5月4日)。先に「ところが」と書いたが、このような事実、実態は社会保障法研究者のみならず、実務関係者やモノを知る大人の間では公知である。つまり、「ところが」ではなく、「そうはいっても」なのである。
問題は、制度の理念と現実のギャップを学生にどう伝えるかである。「新聞に書いていることと、授業で習ったことが違う。」と積極的に質問してくる学生は、おそらくいないだろう。大学生になれば、理想と現実は違うことは百も承知であり、実態は教員が制度の理念として話すことと乖離していても、世の中、そんなものと納得、諦観することができるからである。しかし、このような学生たちの自己消化を放置することは教育の怠慢である。
授業で話すことと現実にギャップがあることは医療保険制度や社会保障制度のみに限らない。後見人が必要と習ったのに、それが選任されていない認知症高齢者(民法)、労務に対する対価が賃金と習ったのに支払われない残業代(労働法)、等々。大学教育に意義があるとすれば(もちろん、あるのだが)、習ったことと現実のズレを指摘し、その背景・要因を説明することで、この世の中を見る学生の目を鍛え、批判的、かつ、建設的な思考を身に付けさせることであろう。
もっとも、上記新聞記事には受診控えの背景や取るべき対策が示されている。だから、学生たちには、さらに「こんなことで解決が可能か」を問うことになる。こうして、学生たちに自ら考えることを強いて、教育の怠慢の誹りを避けるのである。
社会保障法の授業は「習ったことと違う」と指摘されることのオンパレードである。生活保護制度しかり(興味深い図書に、小林美穂子、小松田健一『桐生市事件 生活保護が歪められた街で』(地平社、2025年))、児童福祉制度しかりである。学生を鍛えるという大義名分を掲げ、今日も新聞を含むマスコミ報道を追う日々である。
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