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特集 岩見沢市×北海道大学×森永乳業

 北海道岩見沢市では、母子の腸内環境と健康を軸に、産学官が連携した先進的な健康づくりの取り組みが進められている。背景には、文部科学省の「COI(Center of Innovation)事業」を採択された北海道大学COI(2015~2021年度)に自治体として正式に参画してきたという経緯がある。全国の自治体では初めて認定を受けた「健康経営都市宣言」のもと、北海道大学や企業との連携を深め、地域の保健事業と研究を一体化した体制が構築された。北海道大学COI-NEXT(2021〜2030年度)へと引き継がれた現在も、母子保健を中心とした長期的な健康づくりの取り組みが展開されている。

妊娠期から学童期までを追う母子健康調査

 岩見沢市と北海道大学、森永乳業(株)は2017年度から、妊娠期から乳幼児期、さらに学童期までを対象とした大規模な「母子健康調査」を開始した。これは、妊娠届出時に母子手帳交付と同時に参加を募り、妊娠期、出産、1か月児健診、4〜5か月児健診、8~9か月児健診、1歳6か月児健診、3歳児健診といった複数のタイミングで、便・母乳・血液・食生活調査(BDHQ)などのデータを収集・分析する長期コホート研究である。
 一方、北海道大学COI事業では「『食と健康の達人』拠点」を掲げ、妊婦から高齢者まで幅広い層を対象に、科学的根拠に基づく健康づくりを進めてきた。特に日本では、先進国の中でも低出生体重児(2500g未満)の割合が約10%と高いことが大きな課題とされており、岩見沢市はこの課題に真正面から取り組む先進事例となった。

 対象者への説明と募集、同意までを岩見沢市、測定・回収を岩見沢市と岩見沢市立総合病院・岩見沢レディースクリニックなどの医療機関、処理・分析を北海道大学と森永乳業および検査機関が行っている。このように分担しながら、関係者で定期的にウェブ会議を行うなど、密な連携のもと調査が進められている。回収された便や母乳は冷凍保存され、個人情報に配慮した上で同一人物の経年変化を追い、将来的な再解析にも耐え得るよう十分な量が確保されている。

(図:岩見沢市提供)

現場から見た母子健康調査の意義と工夫

 岩見沢市では、参加者の募集時に妊婦への説明やフォローを丁寧に行い、採取の心理的ハードルを下げる工夫を重ねてきた。特に、便採取については、通常の健康診断等と比べても必要な採取量が多いことや、回収先に持参しなければならないなど、参加者の負担になる面も多い。当初「嫌がられるのでは」という懸念があったが、ツールの改良や説明の工夫によって徐々に参加者が増え、現在は約210名が継続的に協力している。さらに近年では、母子手帳交付時に動画で調査内容を説明する方式を導入し、理解度と参加率を高めている。

 調査に参加することによる報酬はないが、出産後の健診時には企業協力による育児関連物品の提供や、市の健康ポイント制度を通じた還元を行っている。
 また、参加者には便中のビフィズス菌割合や母乳の成分、食生活アンケートの分析結果を個別に返却する。これにより、自身や子どもの健康状態を知る機会が生まれ、食生活改善や健康意識の向上に直結している。保健事業としても大きな成果があり、調査参加者の低出生体重児割合は市全体平均より約3%低い傾向が見られる。また、2023年に実施されたアンケート(回答120名)では、約9割の参加者が事業に「満足」「どちらかといえば満足」と回答しており、参加動機として「自分の子の健康のため」以上に「未来の母子のために役立ちたい」という声も多かった。

 2017年から調査が開始し、当時胎児だった子どもが2025年現在は学齢期となっており、さらに数十年にわたり、成長した際の健康状態や疾病に対するさらなる調査が進展することが期待されている。

(アンケート結果:岩見沢市提供)

保健師の現場から ─ 参加を支える丁寧な関わり

 母子健康調査の現場を支えてきたのは、岩見沢市の保健師たちの地道な努力である。初期から調査に携わってきたこども家庭センター統括支援員で保健師の福多範子氏は、便サンプル提出への心理的ハードルをいかに下げるかが大きな課題だったと振り返る。匂いや採取方法に対する抵抗感を少しでも減らそうと、採取スコップの形状を工夫したり、採取手順を丁寧に説明したりといった小さな改善を重ねることで、協力者が徐々に増えていったと言う。「最初は正直、便なんて出してくれるのだろうかという不安がありました。でも、一人ひとりに丁寧に説明していくことで、理解して参加してくださる方が増えたんです」と語る。
 
 同センター相談・支援担当主査の佐武学美氏は、調査を通じて一人ひとりの母子とじっくり関わることで、地域全体に波及していく手応えを感じているという。「参加してくださる方が増えると、その周囲にも健康への意識が自然と広がっていくのを感じます。保健師同士も連携して、“仲間づくり”をしながら進めてきました」と話す。調査の継続には、保健師間の連携と地域との信頼関係が欠かせないという。
 同じく相談・支援担当の村上友里綾氏は、妊婦や母親への最初の説明を担い、動画や面談を組み合わせて丁寧に案内している。「つわりが重い方など、初回で説明できない場合も多いので、妊娠25週頃に改めて面談を設定するなど、柔軟に対応しています」と、若手保健師も現場の工夫を積み重ねている。


 

 そして、この事業の開始当初は健康づくり推進課長として関わり、健康福祉部長、役職定年を経て参事として携わる永井亘氏は、現在北海道大学COI-NEXTプロジェクトリーダー補佐を務める。保健師の視点も踏まえながら、研究と現場の橋渡し役としてプロジェクト全体を牽引してきた。長期的な視野で住民と研究者・企業をつなぎ、「現場の力を生かした産学官連携」の重要性を語る。「どんなに立派な研究でも、現場で動く保健師の力がなければ根付かない。逆に、現場の努力が研究や政策につながっていけば、大きな力になります」と強調する。

地域と大学・企業の協働によるライフコース研究

 現在、北海道大学COI-NEXTプロジェクトリーダーを務めるのは、北海道大学大学院医学研究院社会医学分野公衆衛生学教室の玉腰暁子教授。岩見沢市との取り組みを「単なる一自治体との共同研究ではなく、地域と大学・企業が一体となって将来のまちの姿を描き、長期的な視点で健康づくりを進める実践」と位置付けている。

 この母子健康調査は介入を伴わない観察研究であり、参加者は地域で自然に生活しながらデータを提供する。研究の目的は、妊娠期から乳幼児期にかけての生活、腸内環境、栄養状態が、将来の健康にどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることと話す。
 
同様の母子健康調査としては、環境省によって行われている大規模調査である「エコチル調査」があるが、便の収集は行われておらず、岩見沢市の調査は腸内環境研究ができるという点で有用性、独自性が高いと評価する。今後は、さらにこの調査が周知されることで協力者が増えることや、紙ベースで蓄積されてきた健診記録や保健師の経験知をデジタル化し、他の医療データ(KDB・NDBなど)と連結することで、さらに多角的な分析が可能になると期待を語る。 

 また、現在進められている北海道大学COI-NEXTについては、「こころとカラダのライフデザイン共創拠点」として、岩見沢市の母子健康調査のほかにも高齢者の口腔機能(オーラルフレイル)調査や若者のライフデザイン調査など幅を広げ、ライフコース全体にまたがる研究にも拡大している。現時点では岩見沢モデルを他自治体にそのまま移す予定はないが、例えば小児肥満など、特定の疾患をテーマとした共同研究の可能性は検討されているという。

健康調査が子どもの腸内環境の研究成果に

 この母子健康調査における研究成果として、岩見沢市、北海道大学、森永乳業により、2025年7月に「離乳期のαディフェンシンがビフィズス菌の定着を促す〜乳幼児の腸内環境と将来の健康をつなぐ自然免疫の働きを初めて解明〜」が発表された。この研究の中核を担うのは、北海道大学大学院先端生命科学研究院の中村公則教授。かねてから研究していた腸内細菌叢とαディフェンシン(抗菌ペプチド)の関係について、岩見沢市の母子健康調査で得られた検体を活用して分析し、今回の成果が得られた。

 この調査の科学的背景には、世界的に知られてきている「DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)仮説」がある。これは、胎児期や乳幼児期の栄養・生活環境が、将来の健康や疾患リスクに大きな影響を与えるという考え方。妊娠期に栄養不足の環境で育った子どもは「倹約型」の代謝体質となり、出生後に栄養が豊富な環境にさらされると肥満や生活習慣病のリスクが高まるといわれていた。

 中村氏は、このDOHaD仮説に「母子の腸内細菌叢とαディフェンシン」という新たな視点を加えている。赤ちゃんは出生時は無菌であるが、産道を通って母親の細菌を受け取り、授乳や家庭環境を通じて腸内細菌叢を形成する。3歳ころまでに成人と同様の腸内細菌構成となる。この腸内環境の形成に深く関わるのが、αディフェンシンである。αディフェンシンは腸のパネト細胞から分泌される抗菌物質で、病原菌は殺す一方でビフィズス菌や乳酸菌など有用菌は温存するという、きわめて選択的な働きをもつ。言い換えれば、αディフェンシンは善玉菌が住みやすい“腸内のインフラ”(腸内環境の基盤)を整える役割を果たしている。母親の腸内環境が子どもの腸内環境に影響を与え、将来の健康状態につながるという連鎖のメカニズムを明らかにしようと研究を進めている。               

(図:中村教授提供)

 岩見沢市の子ども33名を対象にした調査では、出生児から3歳までの腸内環境に注目して分析を進めた。その結果、1歳前後の離乳期に腸内のビフィズス菌が多い子どもほど、3歳時点でビフィズス菌が豊富で腸内環境が良好であり、離乳期の腸管へのビフィズス菌の定着に、αディフェンシンが寄与することが明らかになった。長期にわたる腸内細菌叢形成の基盤づくりにおいて、離乳期の重要性を実証した画期的な成果として、国際学会誌Communications Medicineにもオンライン掲載された。10年にわたる岩見沢市の保健師の努力や母子の協力による便の収集が、目に見える一定の成果につながった。

(図:中村教授提供)

 この結果をもとに、離乳期の食事などを通した介入によって将来の生活習慣病リスクを低減できる可能性が示唆され、期待が寄せられている。なお、マウス実験では、母親が高脂肪食を摂取すると腸内細菌叢が悪化し、その子どももαディフェンシン量や腸内多様性が低下するという結果が得られている。岩見沢市の調査を通して、これらの結果が裏付けられれば、将来の疾患リスク低減にさらなるアプローチができると中村氏は意欲を燃やしている。
 中村氏は、岩見沢市内の小学校で腸内の健康づくりの啓発活動を行い、顕微鏡観察や実験体験を提供するなど、地域での科学教育にも力を入れており、住民理解を深めることが研究基盤を支えていると語った。

政策的インパクトと今後の展望

 岩見沢市の永井氏は、この母子健康調査を、将来的な医療費・介護費の抑制につなげる戦略的取り組みと位置づける。特定健診や介護予防は「壮年期からの予防」であるのに対し、妊娠期・乳幼児期からの健康づくりは「生まれた時からの予防」によって健康寿命を延ばし、医療・介護費の上昇カーブを緩やかにすることができると考えている。本会との連携により、母子保健データとKDB・NDBとの連結分析も構想されており、データ基盤整備が今後の重要な課題となる。
 2025年7月には、母子健康調査で長年協力関係を結んできた森永乳業と「健康増進に関する包括連携協定」を締結し、「プレママから高齢者の食と健康づくり」「食育支援」「災害時に利用できる栄養食品の提供に関すること」など、食と健康に関して幅広く協力を得ることが確認された。
 病院との連携体制やデータ整備が鍵となるが、貴重な生体データを基盤とするこの取り組みは、地域発の予防医療モデルとして国内外から注目を集めている。さらに、現場の保健師によるきめ細やかな支援、大学・企業との連携によって、地域に根づいた健康づくりの新しいモデルが形づくられている。

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