特集 更別村

専門性と地域の営みが結びつくとき、「医療とは何か」「地域とは何か」への一つの答えが見えてくる。医療者と住民が顔の見える関係のもと、相互の助け合いで健康を支えるまちづくりを進める姿は、これからの地域医療の方向性を示している。
この村で最後まで暮らし続けるために〜医療、介護、保健一体となった取り組み
十勝地域に位置する更別村は、人口約3,043人(2026年2月1日現在)の小規模自治体。高齢化が進み、医師不足に悩む全国の多くの市町村と同様、更別村もまた「この地域で最後まで暮らし続けたい」という住民の願いをどう実現するかという課題に直面していた。
更別村の今の地域包括ケアシステムは、高齢化と医療・介護に対する危機感から始まる。1990年代後半にかけ、村では医師が不足し、診療所の体制は脆弱だった。土日の診療には札幌医大など大学病院から医師を招聘し、時には医師の空白期間も生じていた。同時に、介護施設も不足し、要介護度の高い高齢者がやむを得ず村を離れざるを得ない状況が続いていた。
そこで2002年に建設されたのが、「更別村福祉の里総合センター」だ。保健福祉課事務所、温泉施設、デイサービス、生活支援ハウスなどが一堂に集まった施設である。この施設は、渡り廊下ですべてが直結されているという点が特徴的。診療所と福祉課の移動に屋外を経由する必要がなく、患者情報もスムーズに共有される。
そして2001年に、現在の国保診療所所長である山田康介医師が赴任。以来25年、総合診療医として診療だけでなく、村全体の医療戦略を構想・実行してきた。国保診療所は、医師4名(全員が総合診療医)で入院、外来、訪問診療、時間外診療の体制を整え、さらに研修医も積極的に受け入れている。2021年からは、中札内村立診療所の医師の引退を機に、中札内村(外来、学校医、特別養護老人ホーム)との一体運営を、パートタイム医師を含む6名体制で行っている。
医療と福祉を一体で統治する仕組み〜月1回の定期会議と2025年問題
2004年には、更別村福祉の里総合センター内に国保診療所が開設。その年に、山田所長は村の医療の「総合アドバイザー職」に委嘱された。「介護保険制度が始まり、医療と福祉の連携を意図的に進める必要があると考えられていたと思います」と山田所長は振り返る。
こうして始まったのが、月1回の定期会議である。保健福祉課長、社会福祉協議会事務局長、そして総合アドバイザーとしての山田所長が村全体の保健医療福祉施策について協議するという特徴的な体制だ。「その時々のトピックが話題になり、その中で議論していく。村の重要な課題が明らかになり、物事を変えていく力になった」と山田所長は語る。
2010年代半ばには、介護保険事業計画の策定過程で、2025年に要介護3以上の重度者がこれまでにない数に達するという推計、いわゆる2025年問題が浮かび上がった。試算の結果、村内の介護ベッドは大幅に不足することが明らかになった。
「このままでは、多くの高齢者が村を出ていくしかない。これは、最後までここで過ごしてもらいたいという想いと矛盾する。ちょうど国の在宅医療介護連携推進事業という政策が出ていたので、これに取り組むことになりました」と山田所長は述べる。
診療所を中心とした地域包括ケアシステムの構築
こうして動き始めたのが、更別村の地域包括ケアシステムの本格的な構築である。月1回の定期会議の中で、医療と福祉の関係者が共通の危機感を持ちながら、以下の施策を実現していった。
・訪問看護ステーションの整備(従来は高速道路を利用して1時間程度の鹿追町から通っていた)
・歯科診療所との連携(帯広のつがやす歯科と契約)
・情報共有ツール「バイタルリンク」の導入(多職種間での情報共有を効率化)
・専任コーディネーターの配置(帯広市内の病院の入院患者の退院支援、地域への受け入れ調整)
・介護予防事業の充実(保健師による運動教室、口腔ケア、栄養指導)
「患者さんが帯広で入院しても地域に帰ってきてもらう」という方針のもと、診療所から積極的に専門病院と連携し、最終的には地元での看取りを目指す。この一連のプロセスは、高齢者が「自分の地域で最後まで生きる」という人生の営みを支えるシステムなのだ。
その成果といえるのが、特定健診の受診率と健康寿命の延伸だ。更別村は全国平均と比べても高い健診受診率(約60%)を維持している。特に注目すべきは、健康寿命の延伸という成果である。2015年の時点で、男性の平均寿命80.7歳に対して健康寿命は78.1歳で、その差は2.6年あった。ところが2022年には、この差が1年以内に縮まっている。つまり、高齢者がより長く自立して生活できる状態が実現しつつある。
また、人口動態では、自然減少はあるものの社会増減がプラスマイナス0を維持しており、高齢者の転出を防ぐことに成功している。
総合診療医が実現する「包括的ケア」〜多疾患併存の時代へ
ところで、総合診療医とはどのような存在なのか。「多疾患併存状態で、フレイルで、独居という高齢者が今の時代の標準型です」と山田所長は語る。
従来の医療は臓器ごとに専門化し、患者が複数の医師のもとを往来していた。しかし、血圧や糖尿病に加え、心疾患や脳血管疾患など複数の課題を抱える患者が増えている。
さらに農村地帯という特性から、膝や腰の痛みを抱える人も多い。こうした時代において、求められるのは「科によらない問題を『ええ塩梅に』ケアできる医師」だという。

山田所長が総合診療医として目指すのは、避けることができたり不必要な入院を増やさないように、そうした多様な課題を管理することである。訪問診療にも力を入れており、自宅での療養を支援し、地元での看取りも実現している。多くの患者は、診断から治療、そして終末期まで、山田所長や診療所のスタッフと関係性を保ちながら、最期を迎えている。
医療から地域へ〜「物忘れ外来」と認知症予防への取り組み
こうした医療の実践は、「地域に暮らす人々がどのように健全に育ち、自分らしく生きるか」という問いに向き合う姿勢を生み出してきた。その象徴的な取り組みが、「物忘れ外来」である。
当初、認知症に関する住民の理解が低かった時代、診療所には物忘れに関する相談が多く寄せられていた。しかし、忙しい外来の中で、一人ひとりの認知症相談に時間をかけていては対応しきれない。そこで山田所長は、物忘れ外来という専門の外来枠(予約制)を設けることにした。同時に、認知症の早期発見や予防の重要性を住民に理解してもらうため、保健師やケアマネジャーと協力して勉強会を10回ほど開催した。寸劇を交えながら、認知症についての正しい理解を啓発するというユニークな形であった。
こうした地道な取り組みが契機となり、今日では、地域全体で認知症予防と早期発見の重要性が共有されるようになった。また、「診断をすることで進行をゆっくりにすることができる」という医学的知見も、住民たちに届くようになったのである。
医療の本質を問い直す〜相互の助け合いによる健康を軸とした町づくり
物忘れ外来での経験と同様、山田所長が保健師と共に立ち上げたのが「さらべつほーぷ」である。村で不登校が深刻化していた時期があり、その背景に「子どもたちの自己尊重感(セルフエスティーム)の低さ」があることに気付いた山田所長。保健師もまた、若い母親のセルフエスティームが低いことを問題視しており、世界保健機関(WHO)やユニセフが提唱する「ライフスキル教育」に着目した。
そこで2012年に、山田所長と保健師、養護教諭のほか、村内の酪農家など職種を問わず関心のあるメンバーが集まり、さらべつほーぷが立ち上がった。
さらべつほーぷは土日に小中学生を対象としたワークショップを開催しながら、学校への働きかけを続けた。6年間にわたる交渉の結果、中学校の校長が活動に共感し、さらべつほーぷの授業をカリキュラムに組み込むことを決断。その後、教育委員会の改革、道徳教育のカリキュラム変更といった追い風も受け、今では小学5年生から中学3年生まで毎年1回の授業に組み込まれている。
内容は大腸がん末期の患者を題材とした「命の授業」や、一人ひとりのストレスの感じ方の違いを知
るワークショップ、相手を大事にしながら自己主張するアサーションの学習など多様な内容になっている。
このさらべつほーぷの活動は、医療の枠を超え、「地域に暮らす人々がどのように健全に育ち、自分らしく生きるか」という問いに、医師や保健師など専門職が真摯に向き合う姿勢の表れである。こうした活動の積み重ねにより、「相互の助け合いによる健康を軸とした町づくり」が進められている。
診療・介護の隙間を埋めるコミュニティナース「まめーず」
地域包括ケアシステムが整備される中で、2022年、村に新たな担い手が現れた。コミュニティナース「まめーず」である。
コミュニティナースとは、医療の資格の有無に関わらず、「人とつながり、まちを元気にする」という実践のあり方だ。暮らしの身近なところで、元気なうちから「毎日のうれしいや楽しい」を地域の人と一緒につくり、役割や立場を越えたつながりを育みながら、地域の人の可能性を引き出していく。
このコンセプトは、島根県に本社を置く株式会社CNCが提唱・普及してきた。山田所長は、以前からコミュニティナースの活動について関心を持っていた。さらに西山猛村長もこの活動に注目したため、更別村でのコミュニティナース導入が決まったのだ。
村のデジタル田園都市国家構想の一環として、官民一体で進める「更別村SUPER VILLAGE構想」の事業の一つとして実施。2024年5月には、派遣されたCNS社員3名(1名は看護師)で株式会社まめーずを設立した。
代表の今村智之氏は東京出身で、当初CNCからの派遣という形で更別村に赴任した。彼らの活動は、診療所と保健福祉体制では届きにくい部分を埋めようとしている。保健福祉課の新関保課長は、「制度には必ず隙間がある。その隙間を埋めるために、決められた枠に縛られない、自由に動ける人が必要だ。コミナスはそのピースにはまる」と期待する。
型にはまらず、住民の「元気」を引き出していく活動
まめーずの活動は多岐にわたる。日常の業務としては、更別村福祉の里総合センターの温泉施設にメンバーが滞在し、訪れる人との会話から自然に相談を受けたり、関係性を構築している。また、高齢者の一人暮らし世帯を対象とした訪問事業では、現在約130世帯を年1~3回訪問。これは単なる安否確認ではなく、体の状態、心の状態、生活の様子を丁寧に聴き、必要に応じて保健師につなぐ機能である。
月2回の「麻雀サロン」も特徴的だ。商店街で開催されるサロンには20~30人が参加する。当初は運営側が企画していたが、やがて参加者自身の声により、3~4カ月ごとに40人近くが参加する大会へと発展した。参加者の妻からは「夫を外に出してくれてありがとう」という感謝の言葉も寄せられている。
月1回のコミュニティカフェ「サンデーズカフェ」は、暇を持て余していた高齢男性が、コーヒーを入れるのが得意という個性を活かして始まった。今ではカフェの中で93歳の朗読の得意な男性が舞台を得るなど、地域の活動の場として定着している。また、スマホ操作が苦手な高齢者のためのスマホ教室も好評だ。
郵便局に設置された「まちの保健室」は、地域の生活動線上に置かれた相談窓口として機能している。血圧測定や体脂肪測定を行うとともに、若い世代から高齢者まで気軽に健康について相談できる場所である。
2024年2月からは、診療所のリハビリ室にまめーずが月1回参入することになった。家と診療所の往復が主だったリハビリ利用者に新たな社会との接点を作ることで、リハビリへのモチベーション向上や、さらなる外出機会の創出を目指している。

さらに、診療所の医療スタッフとまめーずが月1回の勉強会を開催し、「課題への対処法」ではなく「その人の可能性」に焦点を当てた事例検討を行うようになった。
従来の医療福祉の世界では、病気や障害を前提とした支援が当たり前だった。しかしまめーずは、その人が「病気だから」関わるのではなく、その人の「生きる姿勢や望む人生」に焦点を当てる。医療専門職とこうした視点の相互浸透が、地域医療の質を高めているのだ。

なお、今村氏もさらべつほーぷのメンバーとして名を連ねている。こうした活動の先にある未来について、今村氏はこう語る。「人口が減っていくこと、自分たちが年を重ねていくことは避けられません。だからこそ、若い世代が新しく入ってくることで、地域の循環が続いていくような仕組みを作りたいと考えています」。その言葉には、現実を直視しながらも、地域を信じ、次の世代につなぐ覚悟が感じられる。
医療を支える「人」と、課題の先にある未来へ

更別村の地域包括ケアシステムが機能している背景について、新関課長はこう語る。「やはり山田所長の存在が大きい。在宅医療も介護も、医師の考えを軸にして成り立つもの」。
医師の専門性と地域への根ざし方が、その地域全体の医療福祉体制を支える。山田所長の25年にわたる実践、そして月1回の定期会議という仕組みがあるからこそ、訪問看護、歯科、コミュニティナースといった多職種の連携が円滑に機能していると評価する。
しかし、山田所長自身は、今後の課題について率直に語る。高齢者施策の充実に対して、現役世代への医療アクセスの向上、若い世代が地域に根ざすための環境整備、DXを活用した利便性の向上、そして障害者が地域で暮らし続けられる福祉の充実——課題は山積みだという。
同時に山田所長は、健康づくりの「上流」への取り組みの重要性を強調する。子どもの時期からのライフスキル教育、働き盛りの世代への予防医療、そして地域全体での「相互の助け合い」という土台があってこそ、本当の意味での地域医療は成立するということだ。
更別村の取り組みは、小規模自治体に限らない。医師不足や人口減少など日本全体の課題に対し、一つの方向性を示している。更別村の営みは、これからの日本全体が目指すべき地域医療の姿を、静かに、しかし確実に示唆し続けている。
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